一期一会を改めて感じた日
つい先日、とっても素敵な人にお別れを言いに行った。お世話になっていたサロンの方だ。12月いっぱいで辞めることになったという連絡をいただいたので、どうにか予定を合わせて会いに行った。
話をしているだけでとても落ち着いて、「癒しの雰囲気を纏っている」ことを体現しているような方。
まだ出会ってたったの1年しか経っていないのに、ずっと知っているかのような安心感を持っている方。
卒業したらわたしは違う場所に行かなければならないので、3月までだとは思っていたものの、思いがけず少し早いお別れになってしまった。
その方に会いにいく時、丁度バスが混んでいる時間帯にあたってしまい、約束の時間に間に合いそうになかったので、タクシーに乗った。
とってもお話が面白い方で、とっても親切で、自分の仕事の面白いところをたくさん教えてくれた。
「おねえちゃんとの話おもしろかったし、これもご縁だしいいよいいよ。」と端数を切り捨ててお会計をしてくれて、嬉しいやら驚きやら。
(お客さん側がおつり貰ってくださいとはよく聞く話だけど、運転手さん側がざっくりこんなもんでいいよ、と言ってくれるなんてなかなかないもので)
お金云々じゃなく、まけてくれたからじゃなく、心の綺麗さや親切さに感動した。
まだまだ日本も捨てたもんじゃない、ね。
あったかい人はたっくさんいるね。
心無い人のことばや視線に傷つくことはあるけれど、やっぱり人間ってあったかいのだ、と思う。
不信感から入るのではなく、まだまだ相手を信じたいと思ったし、相手に優しくしたくなった日だった。
11月読書日記
今月も目標達成ならず…
卒論の締め切りが迫っているため、卒論のための文献ばかりになってしまった。
これを載せるのはちょっと違うなあという気待ちなので、載せません。
趣味として読んだ本のみ、載せます。
1.三毛猫ホームズの幽霊クラブ
最後の1ページに驚き。
2.三毛猫ホームズのクリスマス
短編集なので読みやすかった。
女性嫌いの片山刑事が意外な行動にでた場面にびっくり。愛憎、恋愛…むずかしいし怖い。
3.きみとおはなし
大好きなまき田さんの作品集。
いつもツイッターでいいねを押しまくっている物語たちがまとまっていて、ほっこりしあわせな気分に。
4.誰にも言えない恋ばっか
本棚を整理していた時にふと目について、もう一度読もうかなと手に取った本。
なんだか遠いようで近い、近いようで遠い、誰にでもすこしは存在しているエゴや(暗い)気持ちをクローズアップして書かれていて、ああこれはわたしのことだとピンとくるまではいかなくとも、この気持ちに憶えがあるな…と胸のどこかをぐさりと刺されるようだった。
11月は、ぐんと冊数が減ってしまった。
量をこなすことが全てではないけれど、自分の表現力のため、知識のため、12月も読み進めます。
大掃除をしたら、精神衛生がとっても良くなった話
昨日、ちょっと早めの大掃除をした。
なぜこんな時期に?というと、来週人を呼ぶ予定があるのと、新しい家電がくるので、整理しなくてはならなくなったから。
(やらなきゃやらなきゃ…と思いながらずっと後回しにしていたので、ようやく手をつけられてよかった。)
溜め込んでいた、「いつか」使うかもしれないものを潔く捨てたら、気持ちまでサッパリした。
よく聞く話だけど、普段過ごす場所がごちゃごちゃしていると、頭の中や生活もごちゃごちゃしてしまうというのは本当。
朝起きて、さっぱりとした棚や机を見ただけで、いつも以上に目覚めがよかったし、なぜだかやる気までみなぎってきた。
今日は卒論がはかどりそうだ。
今日から12月。
後悔しない2016年を締めくくりを!
残すところ1ヶ月となりました
あっという間に11月末。
決意を新たにはじめた2016年も、もう残すところあと1ヶ月になってしまった。
年始に誓った約束は何個叶えられただろう。そもそも、何を誓っただろう。それさえも思い出せないくらい、まるで第三者の人生を傍観してるかのように、わたしの前をすごいスピードで通り過ぎていった気分だ。
でも、大切な存在は改めて確認できた。自分がいちばんしんどい時に、逆境にたたされている時に、そばで支えてくれていた人こそ、わたしが本当に大切にするべき人間なのだと、この1年は教えてくれた。
わたしも今年1年受け取った愛をしっかりと返していかないといけないと思うし、むしろその倍の愛で支えて包んであげたいと思う。
残さないと簡単に忘れていってしまうから、今年はちゃんと振り返れる手帳を買った。
今年できたこと、来年大切にしたいこと、来年叶えたいところ、行きたい場所…来年こそ、文章にして誓うぞ。叶えるぞ。言霊を信じて大切に。
量より質
この間、中高の友人に誘われて久しぶりにカラオケに行った。
カラオケなんて各々が歌いたい曲を歌っているだけだし、内容の濃い話をするわけでもないけれど、たったの数時間いっしょに過ごしただけで、中高時代の青春がフラッシュバックしてきた。
もう戻れない場所。
その渦中にいるときはなんとも思わなかったけれど、あの輝きと楽しさと大切さは特別なんだと、ひしひし感じる。
わたしは友達が多い方ではない。
でも、いざという時に頼れる友達はちゃんといる。
広く浅くが悪いわけではないけど、年々としを重ねるたび、量よりも質なのだと実感する。
広く深くができる人のことはただただ、尊敬しているけれど。(果たしてそれが可能なんだろうか。)
これまでで厳選されてきた友人たちのことは、何があっても大切にしたいとおもうし、世間からたとえどういう目でみられようとも(そんなことがないのが一番だけど)、わたしは最後まで信じたい。
きっと彼らとは、この先どれだけ物理的な距離が離れようとも、いつだってそばにいられるんだろうな。
そんなひとがひとりでもいてくれることが、しあわせだ。
ゆとりを責める大人たち
これだからゆとりは…と一括りにして責めてる大人こそ、常識や最低限のマナーが欠落していると思う。
その人たちはどうしたって、何かしらの理由をつけて誰かを責めたいのだ。その行為に自分の存在意義を見出しているのだろう。
すべてを誰かのせいにして生きてきた人たちなんだろうな、と可哀想に思うと共に、そんな人たちにバカにされている世代ということに悲しくなる。
年齢を言っただけで「あ、ゆとりね…」と言われ、「世間ではそう括られてますね…」と苦笑いするしかない。
一部のマナーが悪い人たちなんてどの世代にもいるはずなのに、そこだけを抜き取ったようにクローズアップして、これだからゆとりは…という言葉を多用する。
わたしはそんな年齢の重ね方はぜったいにしたくない。反面教師。
書くこと、記憶の容量
今日、高校生から大学1年生にかけてひっそりとやっていたブログを発掘した。
ほんとうに「発掘」という言葉がぴったりなくらい、わたしの記憶から忘れ去られていたし、書いた内容も自分が経験したとは思えないくらい、記憶の引き出しの奥の方にきっちりしまい込んで鍵をかけていたようだ。
こんなことあったっけ…?の連続で、自分の記憶力に自信がなくなってしまった。
これだけ嬉しかったんだから、これだけ悲しかったんだから、これだけ感動したんだから、ぜったいに忘れるもんですか!と思っていたはずなのに、思い出の記憶だけはちゃんとしていると思っていたのに、そんなの幻想だった・・
強烈に記憶の輪郭がはっきりしているのはほーーーーんの一部で、意外と人間の(いや、わたしの?)記憶の容量ってちっぽけだったんだな、なんて思った。
だからこそ、こうやって文字で残しておくことって後々自分自身の思い出になったり、糧になったり、肥やしになったりするんだろう。
正直、自分の昔のブログなんて恥ずかしすぎて見るのを躊躇ったけれど、思い出が次々と出てきてなんだか微笑んでしまった。
闇は中2だけと思っていたけど、実際そんなことなかったなあ。
今のわたしが数年前の文章を読んで恥ずかしいと思っているのだから、きっと今の自分が書いた文章を、数十年後の自分が見たらまた同じ感情を抱くでしょう。
でも、稚拙な文章だとしても、すきなのだから、ずっと書き続けていられたらいいな・・と今は思います。