記憶とメモの話
何かに記しておくことで記憶になる
わたしは何かをふと思いついた時は、積極的にメモを取っている。
あとででもいいやと思ったことは、その「あとで」の時にはもう忘れていることが多いからだ。思いついたアイデアには鮮度があるし、賞味期限もある。
忘れてしまったものはもう、取り返すことはできない。
わたしが毎日つけている日記も、記憶の塗り重ねであって、どれほど嬉しかったこともあっという間に薄まってしまう。
書いた文字を見て、そういえば嬉しかったな‥という風にしか思い出せない。悲しいけれど。
人間の記憶なんて結局のところその程度のもので、
もし何にも記さずとも濃い記憶として鮮明に思い出せることがあるならば、それこそが自分の中で1番の思い出だと言えるのでしょう。
その思い出で記憶が埋め尽くされたら幸せだけれど、やっぱりそうもいかない。
だからこそわたしは、嬉しい思い出や忘れたくないことは文字に記していこうと思う。
決まりごと
決めないとわたしはダメになってしまう
わたしは基本的に、面倒くさがりだ。
やらなくていいことは極力やりたくないし、面倒なことには出来れば関わりたくない。
だから、やるべきことを決めなくては、ぐうたらとダメダメになってしまいそうなのだ。
ここで宣言しておけば、こんな性格のわたしでも「言ったからにはやらないと」という気持ちが湧いてくるだろうから、決めておこうと思う。
- ブログは週に1回は更新する
- "したいこと"のための"しなければいけないこと"は、どれだけ面倒でも、どれだけ億劫でも取り組む
継続が何よりも大切
今後、書く仕事をしていくうえの訓練だ。
上に書いたことは、根本的に書く行為が好きなわたしにとって苦ではない。
わっと頭の中にアイディアが湧いてきたときは良い。けれど、コンスタンスに書くのを続けることこそが難しい‥と、はあちゅうさんが書いていたのを、本当にその通りだなぁ‥ふむふむ‥と思って読んでいた。
アイディアがない時にもどうにか捻り出す、これこそが趣味の範囲内なのか、それを仕事にするのかの違いなのだ。
決意したからには、いつも三日坊主のわたしも続けなくては‥。たまには自分を追い込んでみる。
決まった道が見えてきた時
見えないものが見えた
進むべき道が見えてきたとき、やっと本当に自分がしたいことが見えてくるのだということを最近知った。
就職活動を終えたことでようやく、自分が何が好きで何が苦手で、何を軸に生きていきたいかということが見えてきた気がする。
色んな分野をみた。色んな分野を軸に生きていくことを考えた。迷走していた時期を経て、幸いわたしは最終的に自分が本当に興味のある分野を仕事にすることが出来そうだ。
- お金を稼ぐ手段としての仕事。
- 自分の「好き」の延長線上に置く仕事。
- プライベートと仕事の境目を無くして、私生活を生かす仕事。
仕事といっても、様々な形がある。
就職活動の軸
わたしははじめ、お金を稼ぐ手段としてしか仕事を考えていなかった。
仕事なんて楽しくないだろうと思っていたし、出来ることなら社会になんて出たくないと思っていたのだ。
学生の間にしたアルバイトは「楽しい、充実している」なんてほとんど感じたことがなかったし、働くことに楽しさを見出せないと思いながら就職活動を行っていた。
だからこそはじめの軸は、とことん「安定」。
自分の好きなことと仕事とは完全に割り切って、仕事で稼いだお金と、仕事以外の時間を趣味に使おうと目論んでいた。
気付いたこと
色んな業界、色んな業種‥この世の中には仕事が溢れている。
「安定」を軸に進めていたわたしは、途中でふと気がついた。「これではわたしは続けていけない」と。
もちろん、決められたことを黙々とこなして、秩序を保ってくれている人たちがいるからこそ、この社会は平常に回っていることは間違いない。
でも、わたしはその歯車の一部分になってしまったら、存在意義を見出せなくなる人間なのだ。 なぜなら、「わたしじゃなくても出来るから」。
自分だからこそ、自分にしか出来ないこと、自分のやりたいこと‥
狭き門だっていい。これに挑戦したい!と、軸を180度振り切って、就職活動をリスタートしたのが6月の半ば。
この時期はもう、周りに軸を一気に変える人なんていないし、なんなら着々と周りは面接を終えていっている‥
元々ほんの少しイレギュラーだったわたしの就職活動だったが、これにて完全なる孤立。
就職活動は結局のところ個人戦だとは聞いていたが、こんなにも孤独な気持ちになるとは思っていなかった。
終わったよ!という報告をニコニコしながら聞いていたが、内心は焦りで余裕なんてなかった。
でもどうしても、この職種でなくては‥という強い気持ちと信念が実を結んだのだと、後から思う。(面接に勤しんでる間は、内定を得るのに必死すぎた)
ついに、希望の職種にて内定をいただけたときは、電話を持つ手が震え、後先考えず即承諾した。
仕事は仕事だと割り切ればいい、と周りに話していたのは正直自分を守るためで、心のどこかで思っていた「狭き門の本当にしたいこと」を諦めるために、自分に言い聞かせていたのだろう。
今考えていることはひとつだけ、春から進む自分が勝ち取った道で、自分にしか出来ないことをたくさんしたい。
やる気に満ち溢れている、
この気持ちを忘れずにいたい。
「初心忘るべからず」のための、備忘録。
好きなものを好きと言える覚悟を
そもそもの話
最近の若者は(わたしも含めて)「好き」を堂々と言う力に欠けていると思う。
人と違うというのは決して悪いことではないのに、違いを個性としてみない風潮…これは、若者というよりも日本の風潮なのかもしれないですね。
選択するということ
20数年生きていると、幾度も選択を迫られる機会があります。いや、毎日毎分毎秒が選択の連続なのかもしれません。今、わたしがこの言葉を使っていることも、この記事について書こうとしていることも、すべて選択故の結果なのでしょう。
選択する機会を与えられているなら、迷わず自分の気持ちが向く方を選ぶべきなのに、なぜかストッパーをかける人が多い気がします。
なぜ、周りの目を気にしなければならないのか。なぜ、自分の思いや気持ちをしまい込んで、周りの意見を優先するのか。不思議でたまりません。
それはきっと、流れから逸脱した選択をした者が面白半分な目でみられるからなのでしょう。
アメリカの大学生は、優秀なベンチャー企業やスタートアップ企業をファーストキャリアに選び、自分の力を磨いていくことが主流だそうです。
一方で、日本はどうでしょう。企業の看板につかまりすぎではないでしょうか。やりたいことはまだわからないけれど、とりあえず名前が通っている企業に入ることが目標となりすぎている気がします。
ゴールはその先なのに。そういう人たちを見ていると、その後続く何十年という人生、好きでもないことに捧げて生きていくのかな…と思ってしまいます。(その場所で好きなことが見つかれば素敵なことですが)
もちろん、大手企業に進むことは悪いことだと一概に言いたい訳ではありません。その場所でしたいことが明確にみえている人だっているでしょう。
根底にあることとして「やりたいことがわからない」という人が多いのは、日本の教育制度にも問題があると思います。それは話がさらに長くなりそうなので、またの機会に…(覚えていれば。)
一度きりの人生、自分の中で大切にしたいことを「好き」と言うべきだと、わたしは思います。出た杭を大切にしてほしい。わたしは教育者にはならないけれど、個性をもっと大切に育ててほしいです。
「好き」ということは、意思表示することは、恥ずかしいことではありません。
自分の人生をコントロールできるのは、高めていけるのは、自分自身のみです。
楽しんで生きましょう^^
わたし とは。
はじめまして。
さっくりと自己紹介。
アメリ と申します。関西の女子大生です。
書くことが好きで、女性向けのサイトにてライターとしても活動しています。
将来の明確なゴールはまだないけれど、女の子がキラキラ輝けるための場所を作りたいと思っています。
すきなもの
好きなものは、プロフィールの通り、コーヒーと雨の日と音楽。
すてきなコーヒーショップには目がありません。カフェにふらっと入ってみるのも好きです。
雨の日がすきなので、意外と梅雨は苦じゃない、ですが、そのあとにやってくる夏が大のニガテ。直射日光を浴びると具合が悪くなります。でも1日30分は浴びるべきとどこかで聞いたので、決死の覚悟で毎日外に出ています。
音楽は聴く側としても、演奏する側としてもどちらも好き。わたしにとって不可欠な息抜きの方法です。
あとは、読書と映画も好きです。最近は1ヶ月に10冊は読んでいます。もっぱら小説が多いですが…
毎日をたのしく。丁寧に。マイペースに。居心地の良い場所は自分で作るのみ。
自他共に認める「ひたすらにマイペース人間」なので、ゆるっと(ぬるっと?)思ったことを更新していきます。