書くこと、記憶の容量
今日、高校生から大学1年生にかけてひっそりとやっていたブログを発掘した。
ほんとうに「発掘」という言葉がぴったりなくらい、わたしの記憶から忘れ去られていたし、書いた内容も自分が経験したとは思えないくらい、記憶の引き出しの奥の方にきっちりしまい込んで鍵をかけていたようだ。
こんなことあったっけ…?の連続で、自分の記憶力に自信がなくなってしまった。
これだけ嬉しかったんだから、これだけ悲しかったんだから、これだけ感動したんだから、ぜったいに忘れるもんですか!と思っていたはずなのに、思い出の記憶だけはちゃんとしていると思っていたのに、そんなの幻想だった・・
強烈に記憶の輪郭がはっきりしているのはほーーーーんの一部で、意外と人間の(いや、わたしの?)記憶の容量ってちっぽけだったんだな、なんて思った。
だからこそ、こうやって文字で残しておくことって後々自分自身の思い出になったり、糧になったり、肥やしになったりするんだろう。
正直、自分の昔のブログなんて恥ずかしすぎて見るのを躊躇ったけれど、思い出が次々と出てきてなんだか微笑んでしまった。
闇は中2だけと思っていたけど、実際そんなことなかったなあ。
今のわたしが数年前の文章を読んで恥ずかしいと思っているのだから、きっと今の自分が書いた文章を、数十年後の自分が見たらまた同じ感情を抱くでしょう。
でも、稚拙な文章だとしても、すきなのだから、ずっと書き続けていられたらいいな・・と今は思います。