好きなものを好きと言える覚悟を
そもそもの話
最近の若者は(わたしも含めて)「好き」を堂々と言う力に欠けていると思う。
人と違うというのは決して悪いことではないのに、違いを個性としてみない風潮…これは、若者というよりも日本の風潮なのかもしれないですね。
選択するということ
20数年生きていると、幾度も選択を迫られる機会があります。いや、毎日毎分毎秒が選択の連続なのかもしれません。今、わたしがこの言葉を使っていることも、この記事について書こうとしていることも、すべて選択故の結果なのでしょう。
選択する機会を与えられているなら、迷わず自分の気持ちが向く方を選ぶべきなのに、なぜかストッパーをかける人が多い気がします。
なぜ、周りの目を気にしなければならないのか。なぜ、自分の思いや気持ちをしまい込んで、周りの意見を優先するのか。不思議でたまりません。
それはきっと、流れから逸脱した選択をした者が面白半分な目でみられるからなのでしょう。
アメリカの大学生は、優秀なベンチャー企業やスタートアップ企業をファーストキャリアに選び、自分の力を磨いていくことが主流だそうです。
一方で、日本はどうでしょう。企業の看板につかまりすぎではないでしょうか。やりたいことはまだわからないけれど、とりあえず名前が通っている企業に入ることが目標となりすぎている気がします。
ゴールはその先なのに。そういう人たちを見ていると、その後続く何十年という人生、好きでもないことに捧げて生きていくのかな…と思ってしまいます。(その場所で好きなことが見つかれば素敵なことですが)
もちろん、大手企業に進むことは悪いことだと一概に言いたい訳ではありません。その場所でしたいことが明確にみえている人だっているでしょう。
根底にあることとして「やりたいことがわからない」という人が多いのは、日本の教育制度にも問題があると思います。それは話がさらに長くなりそうなので、またの機会に…(覚えていれば。)
一度きりの人生、自分の中で大切にしたいことを「好き」と言うべきだと、わたしは思います。出た杭を大切にしてほしい。わたしは教育者にはならないけれど、個性をもっと大切に育ててほしいです。
「好き」ということは、意思表示することは、恥ずかしいことではありません。
自分の人生をコントロールできるのは、高めていけるのは、自分自身のみです。
楽しんで生きましょう^^